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2008年3月31日 (月)

新守山 1979/12/25

多治見-(678M)→新守山16:48着/17:10発-(744M)→名古屋

夕方でしたので写真は撮れませんでした。訪問は明るいうちでないといけません。

Photo

とにかく変わった線路配線の駅です。
かなり規模の大きい貨物扱い設備があるのですが、上り貨物列車の解結作業に特徴がありそうです。
想像するに、入換機が連結する貨車を上り2または3番線に据付け、上り貨物列車の牽引機が入換を行った後に解放された貨車を連れて戻る・・・・ではないかと思われるのですが、実際に見ていないのでなんとも言えません。
せっかく現地に行っているのに実際の作業を見ていないのが悔やまれます。

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コメント

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新守山駅は実際貨物関係のほうを訪れたことがありません
共和駅に勤めていたとき新守山駅構内指導掛から転籍された先輩がいてお話を聞いたことがある程度です
この駅の配線図では見えない特徴は上下本線と副本線その間の留置線辺りが築堤上に配置されていて36から33にかけて築堤を降り
貨物ヤード全体が地平にあることです
コンテナ車も扱う大規模な配線でここも入替専用として稲沢からDLが来ていたと思います
上下線下を潜って工場まで引かれていたのがアサヒビール専用線
ビールはこの駅の最大の発送貨物です

私も知らないですが
解結作業はおそらく管理人さんが想像していたとおりではないでしょうか?

新守山駅を訪れたときはすでに暗くなっていたのですが、高いホームから低い貨物側線を見下ろした記憶があります。
もともと築堤であったところに貨物取扱駅を設けたためこのような特殊な状況になったのでしょうか。

多治見駅で書き込んだ者です。
新守山駅、毎日通過していましたが、貨物の入れ替えはあまり注意いませんでした。
ヒデヨシ様の書き込まれた通り、アサヒビールの専用線があったため、大量のビールケースが山積みになっていたのが印象的でした。
この駅、中央西線、名古屋-塩尻間では、現時点で最も新しい駅だと思います。

JR化後の80年代末ぐらいまで、新守山 松尾寺間専用車 と書かれたトキ25000がたくさん留置されていました。

積荷は何だったのでしょう。

f54560zgさん、積荷はガラス原料の硅砂です。
昔は隣の大曽根駅で名鉄瀬戸線から中継されてきましたが瀬戸線の栄町乗り入れ、1500V昇圧の関連で瀬戸線の貨物が廃止となり新守山発、トキ車での輸送に転換されました。

新守山駅は駅長室と旅客本屋が離れていました。これは、貨物営業のため開業して、旅客営業はおまけだったからだと思われます。中央線利用者の友人は、昭和50年代は、出改札駅員が窓口にいないときがあったと言っていました。

>ガラス原料の硅砂
日板のガラス材料が新守山から発送されていたのですね。情報ありがとうございます。

>駅長室と旅客本屋
確かに図面でも離れて描かれていますね。旅客営業はオマケだったわけですか。

この新守山駅、1960年代前半からの中央本線名古屋市内の複線立体交差化で千種駅が移転となったことで、大曽根駅を含め貨物扱いをここに移転大規模化し、貨物駅として開業する予定が、地元の陳情で旅客営業を追加した形です。
現在、貨物ヤード部分はほぼ転用され、大型ショッピングモールや企業ビルが建っています。
また、上下ホーム間の上②上③や、速度制限が課されていた下り塩尻側のシーサスクロッシングも撤去されており、貨物取扱駅の面影は広めの構内にのみ残っている形です。

KATさん
情報ありがとうございます。ここも不要な線路の撤去が進んでいるんですね。

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