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2008年3月21日 (金)

武豊 1979/12/24

東成岩-(934D)→武豊12:30着/13:36発-(941D)→大府

19791224
武豊線の終点ですが、かつては武豊港までの貨物支線が存在していたようです。
ローカル線の終端駅としては比較的広い構内を有していましたが、この時点では日本油脂の専用線発着となる貨物のみの取り扱いとなっており、一般車扱貨物はすでに廃止されていました。
本線が旅客列車用、上り1番線が貨物到着用、上り3番線が貨物出発用で、到着列車は旅客・貨物とも警戒信号での進入となっています。

19791224taketoyo01
終端側からです。
専用線貨物以外は廃止されていましたので構内はがらんとしていました。

19791224taketoyo02
終端側です。日本油脂発着の貨車が止まっています。
配線図には記載されていませんが、セ61イ号分岐器の先で左方に分岐する分岐器が見えます。

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終端側からです。

19791224taketoyo04
大府方からです。

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大府方からです。
列車は大府始発934D折り返しの名古屋行き939Dです。

19791224taketoyo06
941Dの車内からです。
貨物ホームは駐車場になっていました。

19791224taketoyo07
941Dです。

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コメント

 官設鐡道が東京と神戸の間を結ぶのに始めは軍部が中山道経由で線路を引く様要請してきた海岸沿いでは外国から攻撃された場合被害が甚大になるからと云う意見であっつた 然し山間部では長大なトンネルや急勾配等連続する工期も長期に渡る予算も膨大になる 未だ國力の弱い明治政府は東西を早く結ぶ為東海道経由に変更されました
 武豊線は其れより早く中山道線経由の資材搬入用に建設され1886年に開業した歴史有る線でした
 武豊駅は此の先武豊港迄伸びていたのは記載の通りです 以前武豊線120年記念写真集と云う地方出版社で発行した本を偶然購入其れには武豊線各駅の配線図も有り武豊港の配線図も有りました 武豊港には貨車用ターンテーブル一基有りました武豊港駅廃止後も現地に残り後日記念に復元一部表面の木部を外し内部構造が見える状態にして有ります 此のターンテーブルは普通のレールが敷設されてますが明治期の貨車ターンテーブルには逆U型の線路を敷設したのが有りました 我が国で初めて発行された日本鐡道紀要と云う鐵道写真集に当時の貨車を写したページが有り貨車ターンテーブルに貨車を乗せて写した写真も有りました偶々ターンテーブルが少しずれていたので逆U型レールで有る事が解った次第です
其の頃の貨車ターンテーブルは二軸単車の軸距離位の直径3500mmが標準でした 武豊港のは少し径が大きい様です 以上 
 

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