武豊 1979/12/24
東成岩-(934D)→武豊12:30着/13:36発-(941D)→大府
武豊線の終点ですが、かつては武豊港までの貨物支線が存在していたようです。
ローカル線の終端駅としては比較的広い構内を有していましたが、この時点では日本油脂の専用線発着となる貨物のみの取り扱いとなっており、一般車扱貨物はすでに廃止されていました。
本線が旅客列車用、上り1番線が貨物到着用、上り3番線が貨物出発用で、到着列車は旅客・貨物とも警戒信号での進入となっています。
終端側からです。
専用線貨物以外は廃止されていましたので構内はがらんとしていました。
終端側です。日本油脂発着の貨車が止まっています。
配線図には記載されていませんが、セ61イ号分岐器の先で左方に分岐する分岐器が見えます。
大府方からです。
列車は大府始発934D折り返しの名古屋行き939Dです。
941Dの車内からです。
貨物ホームは駐車場になっていました。
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官設鐡道が東京と神戸の間を結ぶのに始めは軍部が中山道経由で線路を引く様要請してきた海岸沿いでは外国から攻撃された場合被害が甚大になるからと云う意見であっつた 然し山間部では長大なトンネルや急勾配等連続する工期も長期に渡る予算も膨大になる 未だ國力の弱い明治政府は東西を早く結ぶ為東海道経由に変更されました
武豊線は其れより早く中山道線経由の資材搬入用に建設され1886年に開業した歴史有る線でした
武豊駅は此の先武豊港迄伸びていたのは記載の通りです 以前武豊線120年記念写真集と云う地方出版社で発行した本を偶然購入其れには武豊線各駅の配線図も有り武豊港の配線図も有りました 武豊港には貨車用ターンテーブル一基有りました武豊港駅廃止後も現地に残り後日記念に復元一部表面の木部を外し内部構造が見える状態にして有ります 此のターンテーブルは普通のレールが敷設されてますが明治期の貨車ターンテーブルには逆U型の線路を敷設したのが有りました 我が国で初めて発行された日本鐡道紀要と云う鐵道写真集に当時の貨車を写したページが有り貨車ターンテーブルに貨車を乗せて写した写真も有りました偶々ターンテーブルが少しずれていたので逆U型レールで有る事が解った次第です
其の頃の貨車ターンテーブルは二軸単車の軸距離位の直径3500mmが標準でした 武豊港のは少し径が大きい様です 以上
投稿: yyoshikawa | 2014年6月17日 (火) 22時35分
知多半島在住の高齢の鉄道(模型)ファンです。旧日本油脂専用線を調べています。国鉄線との連絡地点の線路配置が知りたいのですが、ネット検索しても正確な詳しい情報が出てきません。また、ネット画像から推定して配線図を作ろうとしているのですが、不明なことが多すぎて上手く行きません。積み込みホームや2線車庫あたりはほぼ分かってきましたが・・・
投稿: はぐれ千鳥 | 2024年5月24日 (金) 10時04分
はぐれ千鳥さん
お役に立てず、申し訳ありません。今後情報が得られることを願っております。
投稿: f54560zg | 2024年5月26日 (日) 11時07分
日本油脂専用線と国鉄線との接続地点の線路配置がよく分からないと投稿したものです。その後、2社の昭和61年当時の住宅地図調べたところ、両者とも完全ではないものの、それらを組み合わせるとほぼ正確な配線図を得ることができました。この場に掲載できないのは残念です。またオマケとして気になる「ルーブル側線」が少し分かりました。住宅地図によれば、当時この側線の隣に「「日本ルーブリゾール工業(有)」という会社(恐らく日本油脂の系列会社)があったと出ています。因みに、現在武豊の別の地区に移転しています。「ルーブル側線」の名称は、この会社名から取られたものと推測されます。
投稿: はぐれ千鳥 | 2024年6月 9日 (日) 10時31分
はぐれ千鳥さん
配線図が得られて良かったです。
ルーブル側線についての情報もありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2024年6月 9日 (日) 20時11分