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2008年3月17日 (月)

宮古 1978/7/18

釜石-(633D)→宮古14:14着/15:28発-(4614D「陸中2号」)→岩手船越

197807182

超がつくほどのローカル線(当時4往復)宮古線の分岐駅であるほか、宮古港駅への貨物支線とラサ工業の専用線も分岐しています。
宮古線の分岐はいかにも後から付け足したような形態です。
宮古機関区が設けられていますが、車両の配置はありません。配線図には転車台が見当たりませんが、かつては存在したものと思われます。

19780718miyako01
盛岡方からです。

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コメント

初めまして。
偶然にこのブログを見つけました。
岩手県宮古市の出身者です。
掲載されている宮古駅の写真が懐かしいです。
写っている機関区の建物や踏切は今はありません。
それで、お願いです。
自分のサイトのトップページに、この写真を載せたいのですが、お借りすることはできますでしょうか?
どうぞ宜しくお願いいたします。

じんさん、コメントありがとうございます。
今は踏み切りもなくなっちゃったんですか。
写真は、こんなものでよろしければお使いいただいて構いませんので、どうぞ。

ありがとうございます。
お借りします。
写真にネームを入れるとしたら、f54560zgさんでいいですか?

宮古駅の西側にあったこの踏切は、「女学校踏切」という名称でした。
踏切を渡った写真右の方向に、かつて県立宮古高等女学校があったからです。
1994年(平成6)に線路を跨いで「出逢い橋」という高架橋ができて、踏切は閉鎖されました。
機関区の車庫のところは駐車場になりました。
写真の頃とは、だいぶ変わってしまいましたね。

じんさん、名前はf54560zgでOKです。
個人的には線路や機関庫などの周辺の設備がなくなって寂しい限りですが、跡地を有効に活用してほしいです。

昭和50年代に冬偶然宮古に旅行で一泊 駅に着いて下車後駅の回りを探検すると高い防波堤の脇に臨港線が有るので父親と線路伝いに行ってみる事にしました丁度臨港線からそこそこな長さの貨物列車が宮古駅にやって来ましたので期待しました 途中チリ地震津波の記念碑が建てました 港は以外に近く直ぐ付きました 臨港線としてはそんなに大規模では無く 如何にも模型的な配線でとても楽しかった 末端は木材の埠頭線と一般貨物の埠頭線の二つに別れてました 高台に上がると臨港線全体を一望出来ました臨港線の一角にはラサ工業の鉱石ホッパーも有りました(鉱石はトラックで運搬するらしく線路は有りません)当時こんな小さい臨港線でも多数の貨車が留置されてました 3.11の震災の折宮古も津波に襲わ多大な被害をこうむったとTVニュースで報道され町や泊まった旅館も被害に合ったと思うと心が痛みます

y yoshikawaさん、宮古の臨港線は貴重な体験ですね。津波からの復興を切に願います。

宮古のラサ工業の専用線は駅間で唐突に分岐していたのを車窓から確認してました
宮古駅から約1.5~2km位離れていたと思います
ラサ工業への貨車出し入れは宮古で仕立てて小運転扱いで運用していたのでしょう 臨港線と同じ様に
ラサ工業には工場内の入れ替え用に国鉄払下げのC10形機関車を使用してました(当時既にC10形は略絶滅状態の形式でした)後に大井川鐡道に引き取られ動態保存されたのは御承知と思います
嘗て宮古は臨港線も有り山田線の主要駅としての位置付けの駅であり機関区や客車区ラサ工業や臨港線関係の小ヤードも有る其れ也の規模に駅でした

yyoshikawaさん、この時は駅周辺しかウロウロしなかったようで、臨港線とかラサ工業線などにも行っておきたかったです。後悔です。

こんにちは。
宮古駅、実に大きかったのですね。
山田線を中心にして、宮古線、臨港線、ラサ工業専用線が分かれていて、配線図から要衝の駅であったことが伝わってきました。
旅客列車の本数は多くはありませんが、盛岡、釜石、田老へ行先も様々、そこに貨物列車が加われば、構内はそれなりに賑やかになりそうです。
釜石方面への線路の復旧が終わりレールがつながったと聞きました。震災から7年を経て、試験列車が走り始め、三陸鉄道に移管されるカウントダウンが始まることになります。
駅に列車が戻ってくることを、喜ばずにはいられません。
今日も楽しく拝見させて頂きました。ありがとうございます。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

風旅記さん、こんにちは。
一時は鉄路が消えるのではないかと心配しましたが、そうならずによかったです。
今後ともよろしくお願いします。

東日本大震災で不通であった山田線宮古釜石間が漸く復旧し復旧と同時に同区間は三陸鉄道へ移管三陸鉄道悲願の南北直通運転が今日より開始されました第三セクターの鉄道としては最長となるとの事です

yyoshikawaさん
東京~黒磯間とほぼ同じ距離ですものね。

宮古のラサ鉱業の引き込み線は宮古駅から暫く釜石方向へ向かい途中で右側に別れて行きますがラサ鉱業宮古工場向け貨車は構内運転扱いだったのか其れとも小運転であったのかどなたか御存知ないでしょうか

yyoshikawaさん、 こんばんは。

こちらの動画の2分37秒くらいからの映像をみますと、

https://www.youtube.com/watch?v=GxI3oteydkc

宮古駅からやってきたと思われる貨車を牽引するディーゼル機関車の先頭には誘導係と思われる職員の方が乗って緑色の旗を振っています。

このことから推測すると、この専用線への貨車は、宮古駅の構内扱いで「入換の方式」による運転でディーゼル機関車に牽引されてきたのではと思われます。

KASAさん
情報ありがとうございます。
小運転(=列車)や構内運転となると信号機や閉そくといった大掛かりな設備が必要になってきますので、短距離の路線ではほとんど採用されないと思います。

KASA様
有難う御座います 入れ替え扱いだったのですね納得しました 意外なのはラサ鉱業の引き込み線に隧道が有ったのですね

東日本大震災で多大な被害を被った三陸鉄道がJR東日本より山田線宮古釜石間を譲渡され三陸鉄道の長年の悲願であった北リアス線と南リアス線が接続直通運転可能となり先ずは目出度い事です 嘗て山田線時代宮古は山田線の運行の中枢をなす機関区や臨港線等が有り其れ也の規模の駅でした三陸鉄道に移譲後宮古はどの様な駅になるのでしょう

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