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2008年3月13日 (木)

釜石 1978/7/18

平泉-(4811D~4611D「陸中1号」)→釜石11:55着/12:40発-(633D)→宮古

花巻の記事の中で「4811D~4611Dの分割・併合を見ていない」と書きましたが、実は乗っていたんですね。情けない。

197807182
スイッチバックであること、新日鉄の専用線があること、機関区・客貨車区が設けられていることが特徴でしょうか。機関区はDD51が主体、客貨車区はオハ61系が主体です。
配線図では客貨車区は駅に近いように描かれていますが、実際には1km以上ありそうです。入区の場合はこの間を推進で運転していたのでしょうか。

19780718kamaishi01
釜石機関区です。

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コメント

釜石も良い雰囲気の駅でしたね。
大学時代に乗り鉄の途中でちょこっと撮影したのみで、あまり良い写真がないのが悔やまれます。
転車台、郡山もそうでしたが、ここも上路式から下路式の桁に交換されていたのがとても印象に残りました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yasuziro34/45084763.html

YASUZIROさん、「ちょこっと撮影」の割には転車台の傍らまで、釜石駅のいい写真を撮ってらっしゃいますね。

いえ、時間が無く車内からの撮影でして・・・・。

え? これって列車内からの撮影ですか。結構しっかり撮れていたもので(汗)。

 釜石は1939年に山田線が宮古から延伸される迄ナローゲージの釜石鉱山鉄道が釜石大橋間に線路を敷設しておるだけの陸の孤島でした因みに此の区間は日本で三番目に開業した鉄道ですね
 花巻からは岩手軽便鉄道が仙人峠迄開通しました仙人峠大橋間は高低差が有り両線間の連絡は乗客は山道を徒歩で連絡貨物は索道で連絡して居りました
 王子赤羽で話題になった戦後進駐軍が作成した日本地図の釜石にはまだ全盛時代の釜石鉱山鉄道線が記載されており山田線は大渡川を渡った直ぐの鈴子で切れてます 釜石線は戦後大橋迄の東線と花巻からの西線が開業しておりましたが仙人峠を境に間は未開通でした 此の間を急いで開通せねばならぬ事態になりました原因は戦後キャサリン台風等で山田線沿線が被害に合い再び陸の孤島になってしまい富士製鉄関係の貨物輸送が滞ったので急遽開通の運びとなっつた次第 大橋からΩループで半転勾配を登る絶景区間が展開されてます 
 山田線釜石線通し乗車の折釜石大橋間の釜石鉱山鉄道路線跡を車窓から見ておりましたがトンネル一つみつけただけでした

 誠に申し訳有りません一部記載ミスが有りました
まず台風ですがキャサリン台風でなくアイオン台風でした 
 釜石西線は岩手軽便鉄道を国有化1944年に花巻柏木間がまず改軌されましたが其の後は戦争激化で地盤工事されただけで中断柏木から仙人峠間は軽便線のまま残り戦後を向かえました
 1946年のアイオン台風で山田線が不通になり釜石が陸の孤島になり急遽1948年戦争で工事中断していた改軌工事を再開足ヶ瀬陸中大橋間は旧岩手軽便線とは違う南側に新線を敷設して結びました残った足ヶ瀬仙人峠間軽便線と仙人峠陸中大橋間索道線は1950年廃止国鉄軽便線は消滅しました 足ヶ瀬から上有住迄東に向い其の先一度北方向に反転高度をさげつつ足元に陸中大橋駅を望む絶景区間の橋を通りトンネル内でΩループを描き陸中大橋に到着陸中大橋から釜石館は比較的緩い勾配で釜石迄下りました 足ヶ瀬から釜石間の高低差は約460m列車に乗車していると余り感じませんが結行高度差が有るのですね
 陸中大橋のΩループ区間も80m位の高低差があり釜石側から花巻に向かう列車だと陸中大橋を発車してトンネルを抜けると足元に先程通過した区間を見乍ら次のトンネルまで眺めの良い風景です
 然し普通のループ線で高度を稼ぐのでなくΩループで高度を稼ぐ区間は磐越西線会津若松から猪苗代へ上る区間小海線の小淵沢からの区間根室本線の狩勝峠等有りますね 殆どはトンネルが無い区間ですが釜石線はΩループ区間がトンネルで反転しているのが他線と違いますね 山手線の品川大崎間も平坦線ですが一種のΩループなのでしょうか

yyoshikawaさん、釜石線は軽便鉄等・鉱山鉄道・国有化・改軌・仙人峠越えなど、歴史が複雑ですね。製鉄所があるがゆえの歴史でしょうか。
>品川大崎間のΩループ
Ωループには違いありませんね(笑)。その目的をはっきりさせる必要はありますが・・・。

釜石の鉄道は工部省釜石鐵道として日本で三番目に開業してます 官営釜石製鉄所向けの鉄鉱石輸送が主でした軌間838㎜日本で唯一の変則ゲージの蒸気鉄道でしたが官営釜石製鉄所が閉鎖され廃止になり設備車輛は後に開業する阪堺鐡道に売却されました
釜石の製鉄所が民営で再会されたおり先ず軌間762㎜馬車鐡道で運行再開後蒸気鉄道に格上げされ戦後釜石線全通時迄は旅客輸送もする一般鉄道でした其の後釜石鉱山の鉱石輸送専用になりましたが釜石線での輸送に切り替えられ廃止されました 釜石鉄道の蒸気機関車は762㎜の機関車としてはかなり重量級で然も空気ブレーキ装備自動連結器使用の重装備でした

yyoshikawaさん、八幡もそうですが、製鉄所の鉄道というのは複雑怪奇という気がしますね(汗)。

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