一ノ関 1978/7/16
小牛田-(4811D「たざわ1号」)→一ノ関8:52着/10:21発-(1513M「あぶくま」)→水沢
仙台発田沢湖線経由秋田行きの「たざわ1号」はいわゆる多層建て列車でした。
仙台を発車する時点では盛行き「むろね1号」と宮古行き「陸中1号」を併結しており、
一ノ関では「むろね1号」を分離する代わりに盛始発の「さかり」を併結、
花巻では「陸中1号」を分離する代わりに釜石始発の「はやちね1号」を併結、
盛岡で「さかり」と「はやちね1号」を分離してようやく単独運転になったと思ったら、
大曲からは「千秋1号」に併結されて秋田に到着します。
おまけにこの「千秋1号」の一部は仙台始発陸羽東線経由の青森行きで、
仙台から小牛田までは「たざわ1号の」の約5分後を走っていました。
大船渡線の分岐駅です。
旅客発着線が3本しかありませんので、やりくりに苦労しそうな感じがします。
前述の通り解結作業が行われる列車があることへの対応でしょうか、誘導信号機が設けられています。
一ノ関機関区と一ノ関客貨車区が設けられており、それぞれ約40両のDCとPCが配置されていました。
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一度この駅に降り立ったことがあります。それが小生にとり正直東北線の最北端です。すぐにお分かりでしょうが、中尊寺へと急がされた、ということです。よって主体なく記憶なくです。多分その頃はこの地域電機の仕業庫が存在した仙台運転所の図が一枚有っただけです。印象として関西圏に住む身にとって朝霧の中で迫って来る車窓の風景に何故竹林が見られないのだ!と強烈に印象づけられました。東北新幹線線が設けられる以前の配線図、貴重の極みです。かつての急行名を耳にすると、ECにせよ、DCにせよ、ましてPCも虚無感を覚えます。一般の人は時代が進んだのだ、と仰せになるのでしょうが。
投稿: SY | 2009年5月 6日 (水) 02時18分
この翌日、1978年7月18日は、「同志」10数名で平泉の国民宿舎に泊まりました。翌朝私は早々に駅に向かったのですが、あとで聞いたら中尊寺に行かなかったのは私だけでした。「まさかこの連中がそんな邪道な観光をするはずがない」と思っていたのですが・・・。
投稿: f54560zg | 2009年5月 6日 (水) 12時27分