只見 1979/8/7
大白川-(428D)→只見10:48着/11:31発-(414D「奥只見」)→会津川口
大白川で見送った5両編成の421Dは終着駅の小出で分割され、後寄り2両が428D只見行きとなって先発し、前寄り3両が後発の414D「奥只見」になっていました。
大白川と同様、開業後しばらくは終端だった駅です。
小出方からです。大白川同様、幅の狭いホームです。
左側の通路で本屋と結ばれています。
小出方からです。列車は428D折り返しの427Dで、55260+519です。
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また専用線の話で申し訳ありません。
会津川口から電源開発の田子倉ダムの下まで専用線が伸びていました。途中に二箇所の交換設備を設けていました。上越線の小出駅の配線図に電源開発の専用線があるのは田子倉ダム建設用ですので雪のない季節は只見線経由でセメント輸送をして冬場になると小出側からの輸送になっていました。田子倉ダムの完成後に会津川口から只見間が無償譲渡されて晴れて只見線の気動車が乗り入れされました。
だから電源開発も貨車を保有していました。ホキ1型を140両保有していました。佐久間ダム完成後
田子倉ダムと各地を点々としていました。昭和34年に電源開発は鉄道輸送から撤退しました。
投稿: つるたま | 2012年8月28日 (火) 19時49分
つるたまさん、電源開発って機関車(EF15)も持っていたような・・・。
投稿: f54560zg | 2012年8月30日 (木) 22時56分
こんにちは。
只見駅から大白川駅への六十里越は、列車で長いトンネルを抜けて、車で砂利の転がる山道を、どちらも越えたことがありますが、いずれもよくもここに交通を通したものだと感じさせるものでした。(記憶が間違っていなければ国道の峠の頂点に田中角栄揮毫の碑が建っていたと思います)
一度列車が走り始めれば、鉄道を楽しむ私にとってはその廃止や縮小はとても残念なことに感じられますが、そもそもここに鉄道が敷かれたことが奇跡に近いのではないかとも思います。六十里越のトンネルが通ったときには、既にモータリゼーションも始まっていた時代でした。
只見駅は終着駅だった時代も、大白川駅につながってからも、駅の様子はあまり変わっていないのでしょうか。以前訪ねたときに転車台を見付け、ここが終点だった時代の面影を見ました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
投稿: 風旅記 | 2016年9月24日 (土) 15時16分
風旅記さん、まさに秘境地帯ですね。私は道路で越えたことはありませんが、道路よりは鉄路に対する信頼のほうがまだ高いのかも・・・。
投稿: f54560zg | 2016年9月25日 (日) 21時26分
NHKの六角精児の呑み鉄本線日本旅全線運転再開記念只見線を呑むで只見駅が紹介されてました現在の只見駅は島式ホームに上下線があるでけで殆の側線は撤去されております
投稿: yyoshikawa | 2023年8月13日 (日) 17時16分