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2008年2月13日 (水)

伊那松島 1978/12/24

新宿-(1401M「アルプス1号」~4401M「こまがね1号」)→伊那松島10:22着/11:21発-(245M)→辰野

クリスマスイブには全く関係なくせっせと駅めぐりです。

19781224_2
旧伊那電気鉄道です。伊那松島機関区が設けられていますが、詳細が不明なため配線図は省略しました。

下り1番線の配置に買収国電線区らしい特徴があります。サンリンの専用線にはどのような手順で貨車を出し入れするのでしょうか。

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辰野方です。なぜ分岐器の直線側が側線なのでしょうか。

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豊橋方です。左側の上りホームのしゃもじ形の物体は何でしょうか。通票の授器でしょうか。場内信号機から判断する限り、この駅は通過することができないようになっていると思うのですが。

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辰野方です。

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本屋です。ここにも「しゃもじ」があります。

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辰野方です。

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伊那松島機関区です。50両あまりの旧型国電と9両のED62が配置されていました。

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コメント

 飯田線は大糸線共々戦時買収された私鉄でした其の為か駅配線は国鉄標準から外れた配線が多々存在してました 伊那松島の貨物側線が下り本線と直列に配置されているのがその証でしょう

yyoshikawaさん、飯田線の場合、結構「?」と思われる配線が見受けられますね。通過速度とか乗り心地とかは度外視でしょうか。

こんにちは、飯田線沿線出身です。初めてコメントさせて頂きます。
「しゃもじ」はお察しの通り通票授柱です。使うときは長いアームを倒して先端に通票をセットし、授けると自動復帰します。ちなみに受柱は一枚目の写真、「45」の制限標識の右側に写っている、先端が曲がった柱がそうです。使うときは上半分を少し持ち上げて線路側に倒し、終わったら手で元に戻します。昔は「蚊取線香」だったのが、ある時期に更新されたと記憶しています。
通過時の信号ですが、駅員が通票受柱近辺で緑旗を示していて、その近くに「通過手信号現示位置」という標柱が建っていました。また、停車列車の場合は出発信号が停止現示、通過の場合は進行現示だったと記憶していますが、間違っていたらすみません。

こまがね伊那天竜さん、コメントありがとうございます。このテの授器は買収由来なのでしょうか。昔の受器が蚊取り線香であったならば、そういうわけでもないのでしょうか。

授器ですが、個人的には買収由来ではないと思います。飯田線内(元4社)の全交換駅に同じものがありましたし、飯田線以外にも、身延線・二俣線・富山港線(城川原)にありましたから、むしろ国鉄になってから整備されたと考えるのが自然かと思います。具体的な根拠は無いですが。

こまがね伊那天竜さん、そうですか、買収以降のものらしいんですね。個人的にはあまり見かけないカタチだったものですから・・・。

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