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2008年1月26日 (土)

十和田南 1982/3/23

陸中花輪-(927D)→十和田南9:46着/11:10発-(1929D)→大館

配線図がありませんので写真のみ掲載します。

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好摩・大館方です。

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十和田南駅はスイッチバックの駅です。
左が好摩方、右が大館方です。

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好摩・大館方からです。

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好摩・大館方からです。

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終端側です。

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終端側です。

19820323towadaminami07
終端側からです。

19820323towadaminami08
スイッチバック駅ですので当然転車台が設けられていました。
もちろんすでに使用されることもなく、雪捨て場と化していました。

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コメント

会津若松もそうですが其れ程急な勾配区間で無いのにスイッチバックする駅を鐵道史料でS形ステーションと言ってました
①或る所迄路線を伸ばして来たが何等かの地理的条件で其の儘では延伸不可能な状況で迂回の為スイッチバックせねばならない
②建設当初は其処が最終目的地であった其の為頭端駅として建設されたが其処から更に延伸する計画が持ち上がり仕方なくスイッチバックして先へ向かう
③当初神社仏閣等への参拝の為二方向より線路を建設したが戦時中に不用路線に指定され鉄材供出の為撤去其の後再度路線復活されずにスイッチバックとなってしまった
④用地取得難で仕方なくスイッチバックせざるおえない
等の理由からS形ステーションが発生するのでしょう

yyoshikawaさん、十和田南駅のような完璧な中間駅の方向転換駅って珍しいですよね。始発・終着列車も設定されていないようですし。

同和鉱山小坂では1960年代に新たなる黒鉱鉱床を発見その輸送の為当時設備的に古くなっていたナローゲージの小坂鉄道での輸送を如何すか同和鉱山は検討した 
⓵在来のナローゲージ線の改軌
②自動車輸送に転換
③十和田南への新線建設
結局在来線の改軌で賄う事で対応
其の後の状況の変化で小坂鉄道は廃止され現在はトラック輸送に変換されました

yyoshikawaさん、小坂鉄道が十和田南駅に接続することを検討していた時期があったんですね。情報有難うございます。

初めまして。
駅本屋から構内踏切を渡って島式ホームへ行くローカルなスタイルですが、4枚目の画像を見ると本屋側はホームが無いのにホーム程の高さではないものの、嵩上げされて本屋が建てられているように見えます。(大抵このスタイルの所では本屋は基礎程度でほぼフラットに建てられてますよね?)
画像では見切れていますが、本屋から構内踏切に降りる所に階段等があったのかそのディテールが知りたいです。
近年の画像を見ると本屋側の嵩上げ高はほとんど目立たず踏切との接続部もフラットになっているようですが。

ト1さん
十和田南駅の写真を追加公開しましたのでご覧ください。
おっしゃる通り普通はフラットだと思いますが、微妙に嵩上げされていますね。ホームへの通路はスロープになっていますが、一部の線路が撤去された現在ではそのスロープが緩やかになっているように思えます。

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