« 屋代 1978/12/27 | トップページ | 長野 1978/8/15 »

2008年1月20日 (日)

篠ノ井 1978/12/28

上田-(1301M「妙高3号」)→篠ノ井11:38着/13:50発-(1342M)→上田

19781228
信越本線と篠ノ井線が分岐するジャンクションですが、旅客運転上は単なる中間駅であり、貨物取扱については北長野に貨物基地が設けられていますので、操車場機能と車両基地(機関区、貨車区)が主体のターミナルになっていました。
旅客関係の3本の本線のほか貨物着発用などの5本の本線があります。
不思議なところとして、直江津方から信越下り本線には進入できませんが信越下り本線からは高崎方にも塩尻方にも進出できるようになっています。
また、中線は直江津方に対してのみ発着が可能ですが、これはおそらく長野・北長野駅と篠ノ井機関区の間の機関車単行列車の着発用と思われます。

貨車区は左上部にありますが、機関区は左上方の篠ノ井線沿いの図示されていないところにあります。

19781228shinonoi01
高崎方です。

19781228shinonoi02
2002/5/2の同じ場所です。

19781228shinonoi03
中央下り本線の高崎方からです。

19781228shinonoi04
2002/5/2の同じ場所です。タンク車だけしか見られなくなってしまいました。

19781228shinonoi05
信越下り本線の直江津方です。列車は836レ中津川行きです。

19781228shinonoi06
2002/5/2の同じ場所です。中線は撤去されています。

19781228shinonoi07
直江津方からです。

19781228shinonoi08
2002/5/2の同じ場所です。

19781228shinonoi09
上り13~20番線付近です。

19781228shinonoi10
2002/5/2の同じ場所です。かなりの線路が撤去されています。

19781228shinonoi11
正面が高崎方、右が塩尻方です。右端は篠ノ井貨車区です。

19781228shinonoi12
2002/5/2の同じ場所です。

19781228shinonoi13
篠ノ井貨車区です。

19781228shinonoi14
正面は塩尻方、右は篠ノ井機関区の入出区線です。

19781228shinonoi15
2002/5/2の同じ場所です。工事中だった陸橋が完成して踏切が廃止されています。

19781228shinonoi16
篠ノ井機関区です。EF62とEF64ばかりです。

19781228shinonoi17
2002/5/2の同じ場所です。

以下は2009年4月25日追加しました。

19770811c03
1977年8月11日、502M「天竜1号」茅野・飯田行きです。

19770811c04
1977年8月11日、322レ高崎行きです。

19770811c05
1977年8月11日、337M直江津行きです。
68058+70113+70069+76021+68082+70106+70044+76014です。

19770811c12_2
1977年8月11日、336M小諸行きです。
76014+70044+70106+68082・・・ということは、上の337Mの後ろ半分が長野で切り離されて戻ってきたわけですね。

19770811c14
1977年8月11日、364レです。

19770811c15
1977年8月11日、432M新宿行きです。
83028+82005+115系です。

19770814a01
1977年8月14日、左は337M直江津行き、右は2832M松本行きです。

19781228b04
1978年12月28日です。

19781228b05
1978年12月28日です。

19781228b08
1978年12月28日です。
特急停車、おめでとうございます。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 屋代 1978/12/27 | トップページ | 長野 1978/8/15 »

コメント

EF62ですねェ。高崎線から他線に転出し、荷物に転用され、東海・山陽でEF58に代わって牽引した印象が強いのですが。もう山機のEF64の余命ですら。ともあれ大昔、中央西線の電化で雑誌に篠ノ井駅・区の配線が掲載されており、入区出区、仕業庫の意味を知り、その後自前で電機の基地を描く試みをし出した記念の駅です。受験勉強もせずにダイヤと配線図に夢中にさせた駅かもしれません。

SYさんの原点は篠ノ井ですか。私にとっても篠ノ井時代のEF62は最もお気に入りのひとつです。
風のウワサでは塩尻の派出(?)になったとか。いったいどうなっているんでしょう。

たまたま70年代から80年代前半の篠ノ井の写真を探していたらここに辿り着きました。その当時の篠ノ井駅は、私にとって幼少の頃の古き良き思い出を呼びさましてくれるとても思い出深い場所です。昔、篠ノ井に祖父母が住んでおり、学校が夏休みに入ると毎年決まって遊びに来ていました。駅に着くたびに今は亡き祖父が必ず迎えに来てくれたことを思い出します。こちらのサイトで当時の駅舎の状況が拝見できてとても嬉しく思っております。どうも有難うございました。

MNさん、私も小さい頃は夏休みになると信越線の列車に乗って祖父母の家に遊びに行っていました。祖父母に会うことよりも列車に乗ることのほうが楽しみでしたが・・・。
篠ノ井の写真はまだいっぱいありますので、10枚ほど追加しました。

f54560zgさん、写真アップほんとにどうも有難うございました!今は無き駅前のJASCOがカラーで写ってて最高です!あの当時の方が、断然街に活気があったように思います。なんとお礼をしたらよいのやら、再度有難うございました m(_ _)m

f54560zgさん、写真アップほんとにどうも有難うございました!今は無き駅前のJASCOがカラーで写ってて最高です!あの当時の方が、断然街に活気があったように思います。なんとお礼をしたらよいのやら、再度有難うございました m(_ _)m

f54560zgさん、写真アップほんとにどうも有難うございました!今は無き駅前のJASCOがカラーで写ってて最高です!あの当時の方が、断然街に活気があったように思います。なんとお礼をしたらよいのやら、再度有難うございました m(_ _)m

MNさん、どーいたしまして。
それより3連発ありがとうございます。
記念にそのままにしておきますね(笑)。

80系列車の先頭を飾るサロ改造のクハ、通勤型スタイルの運転台ではありますが、どこかしらノーブルなたたずまいを感じます

オーイナル野焼きさん、ノーシルノーヘッダーなのもそう感じさせる一因かもしれませんね。

信越線も篠ノ井線も、長野まで直通するため、篠ノ井駅も、豊野と同じように、中間駅の構造となっていますね。

ただちょっと???と思う篠ノ井駅の配線・乗り場の形状。今もそうですが、上り列車は上田方面も松本方面も1番線に発着しますが、長野行は松本からは3番線、上田からは2番線を使います(一部例外もあります)。
上田方面は1番線、松本方面は2番線、長野方面は3番線という構造にできなかったのかなあ、と思ってしまいます。

篠ノ井駅南の線形は、しなの鉄道になった今も、まっすぐ伸びる複線の上田方面は「本線」の貫禄がありますね。一方、篠ノ井線はJRですが、右へカーヴしていく単線です。

猫さん、確かに誤乗防止の点では上田→1番線、松本→2番線、長野→3番線がいいですよね。
今ではJRではなくなってしまいましたが、上田方面のほうが主要な路線だったと思います。

猫さま
 全く同感です。現在の線路使用は運転優先であり旅客が後回しになっています。
 運転派の考えは篠ノ井でいうと、同時到着の可能性のある信越・篠ノ井の下りを共用するのは好ましくないという方針になります。上りは信越・篠ノ井とも長野から来るので同時はあり得ません。したがって1本の線路でこと足ります。
 この方針の典型は大宮で、上りは東北・高崎ともそれぞれホーム1本と線路2本を占有しています。
 下りは1本のホームを東北・高崎で共有しており、慣れない乗客は違う方面に乗る可能性があります。(最近は湘南新宿ラインが加わってさらに複雑)
 他にも探せばまだ有りそうですね。緻密なダイヤを組める現在では発想の転換が必要と思います。

以前は上田方面も松本方面も長野色の115系でしたが、その後しなの鉄道は赤色、篠ノ井線は長野色となり誤乗防止にもなっていると思います。

大宮は全て湘南色だから車両をみただけでは分かりませんね。

うーん、もし列車に遅れがあった時を考えるとどうかな、とも思います。篠ノ井線下りが遅れ、後続しなの鉄道下りと同時刻入線になってしまった場合。
もし2番線が篠ノ井線上り用になっていた場合、
篠ノ井線下りは下り用3番線に入れても、しなの鉄道下りをどうするか。手前で待たせるのか、2番線を逆走させるのか。2番線に入れれば篠ノ井で降りたい人にはいかもしれませんが、乗る人は篠ノ井止まりで上田へ折り返すとの誤解を招く恐れもあります。かといって新しく0番線を作って4線化するのも費用対効果の面で難しいでしょうね。

猫さま
 ご検討ありがとうございます。恒久的な設備ですから変化には時間がかかりそうです。
 乗り場ではありませんが、高崎における上越新幹線・北陸新幹線の分岐でも、合流する上りはホームまで別線、分岐する下りは駅から相当離れた箇所で上越から北陸が分岐します。ポイント制限は160km/hとのこと。

管理人さま
 篠ノ井機関区が塩尻の派出(支区?)になったのには私も驚きました。
 でも貨物列車体系を見れば塩尻は節点には違いありません。乗務員の運用からも適切と思われます。基地は簡単に動かせないので篠ノ井を派出としたのでしょう。
 北海道では鷲別機関区(DF200多数配置)が引っ越して五稜郭機関区に統合されましたが、このあたりの経過の実況放送を望みます。

猫さん、C6217さん
お客さん、運転側、コスト面からの要求はそれぞれ相反することになりがちですから、なかなかすべてを満足させるのは難しいですね。それでも関東で育った私としては京阪神の方向別複々線の利便性の良さは衝撃的でした。
篠ノ井が派出となったのは私も驚きました。EF62やEF64の大きな基地でしたが、機関車牽引列車の激減でこのような姿にまったのでしょうね。
鷲別機関区の経過は私もよく知りませんので、ご存知の方、お願いします。

C6217さんがご指摘されているように、駅到着前に場内信号機で列車を止めないように、進入をスムーズにするように配線を設計することは、運転上の配線計画の原則のようですね。国鉄で配線計画に携わっていた吉江一雄氏の著書「停車場の配線を診断する」にもそのような記載がありました。常磐線友部駅はスペースに余裕があり、分岐側進出の線路(ホーム)は常磐線と水戸線が別になっています。

コスモスさん、友部駅は豪勢ですね。さながら「複線分岐」の形態ですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 篠ノ井 1978/12/28:

« 屋代 1978/12/27 | トップページ | 長野 1978/8/15 »

過去の記事

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ