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2008年1月19日 (土)

上田 1978/12/28

大屋-(339M)→上田9:29着/11:08発-(1303M「妙高1号」)→篠ノ井

19781228

新幹線の開業で大きく変貌してしまいました。

この当時は上田交通別所線ホームが信越線ホームと平行に配置されていましたが、さらにさかのぼれば上り6、7番線あたりに上田交通真田・傍陽線も発着していました。

貨物扱いも行われており、専売公社の専用線もありました。

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高崎方です。

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上田交通のホームです。

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高崎方からです。

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駅の裏手にはいろいろな車両が留置されていました。

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上田交通線は急カーブで別所温泉に向かっていました。

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専売公社の専用線です。

以下、2008/1/3追加しました。

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このイトーヨーカドーが移転しちゃうんですね。

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専売公社の専用線です。

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上田交通線の千曲川橋梁です。上田方からです。

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本屋です。

20020727c01
2002年7月27日撮影です。
きれいさっぱりです。

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コメント

貨物がまだ盛況ですねぇ。
専売公社に至るレールはそのあとも残っていましたよね。今はどうなのでしょう?新幹線開業してから通ったことすらありません。

LUNさん、貨物が盛況の頃が懐かしいですね。貨物が廃止になり、機関車牽引列車が少なくなって線路配線も味気ない無機質なものになってしまいました。

LUNさん、今はとてもシンプルなつくりの駅です。
別所線も上田駅~千曲川鉄橋手前まで高架に
なりました。
あとJT上田工場は閉鎖になり建物は解体され
今は更地です。
跡地には駅前のイトーヨーカ堂が移転してアリオ
上田が計画されています。

コメントありがとうございます。
少し写真を追加しました。

上田 1978/12/28の画像などなつかしく拝見。
上田駅の駅前ロータリーに浅間山噴火の「赤岩」が
あったのですが、当時の写真はありませんか?
今は、幸村の像になってしまいました。

懐かしく拝見しました。
専売公社専用線の写真は貴重だと思います。駅の下り方にある県道77号線(当時は国道143号線)の架道橋は、直江津方に向かって左から専売公社線・信越線上下本線・上田丸子電鉄北東線の4線構造でした。現在線路があるのは中央の2線のみですが、コンクリート製の橋脚と橋台はそのまま現存しています。
写真のイトーヨーカ堂が建っている土地には、かつて重厚な造りの日通支店がありました。そこに面した駅前広場には大きな噴水池があり、hinaさんのおっしゃる赤岩はその中にあったと思います。
一つ疑問なのは、写真にもある通り1~2両のタンク車が側線にいるのをよく見かけましたが、上田駅には石油類の積み下ろし設備はなく、専用線の荷でもなかったはずです。隣の西上田駅にはオイルターミナルの油槽所がありましたが、そちらは専貨が直行してましたから無関係だと思います。
全て思い出の彼方に消えてしまいました。

hinaさん、スミマセン、赤岩は知りませんです。
刻苦七十年さん、
>コンクリート製の橋脚と橋台はそのまま現存
機会があったら見てみたいですね。
タンク車はホントに不思議ですね。おっしゃる通り今となってはよくわかりませんが・・・。

再投稿失礼します。
直江津方の北引上線は、かつての上田丸子電鉄北東線(真田・傍陽線)との授受線と電鉄車庫線の一部だと思います。図の上7番線の下にもう一本線路があり、それが電鉄ホームに入っていました。
高原野菜やリンゴを積み、電車に牽かれて山を下りてきた貨車はここから東京や関西に向かいました。

刻苦七十年さん、まさに古き良き時代ですね。今となっては昔ここに電鉄ホームがあったことを知らない人がほとんどでしょうし、逆に、将来今のような姿になるとは当時は到底思い浮かばなかったでしょうし・・・。

今や千数百項目に及んだ f54560zgさんのblog。
10周年おめでとうございます。
この期にひとつお尋ねしたいのですが、以前のパイロット版の存在は知っていましたが、本blogに移行し、この上田駅が栄えあるトップ項に選ばれたのにはどんな理由が有ったのでしょうか?

鉄道配線図等を基に、鉄路の地面に興味を抱いて約半世紀。
f54560zgさんのblogを通じて夢や希望、感動を与えて下さり改めてお礼申し上げます。

E10さん、このブログのところどころで書かせていただいてきたのですが、子供のころは祖父母が上田辺りに住んでおり、長い休みの時は信越線の鈍行客車列車に乗って遊びに行くのがとても楽しみでした。祖父母に会うことではなく列車に乗ることが楽しみだったのは言うまでもありませんが。(おじいちゃん、おばあちゃん、ゴメンナサイ。)
この列車の車窓から眺めた線路への興味がこのブログの原点なのだと思います。

f54560zgさん、10周年おめでとうございます。E10さんのコメントを拝読するまで気がつきませんでした(汗)。これからも楽しみにしております。

当時、記事の日時より約三ヶ月前の9月後半に土日の連休があり、金曜の夜行 急行きたぐに で直江津入りし、日曜の夜行 急行ちくま で帰路に付いた旅程での信州地域の機関区巡りで、この上田駅を訪れました。
夏休みの北海道の機関区巡りで意外と予算が余り、5〜6年前のキネマ旬報蒸気機関車誌の記事に手書き状の小海線の転車台地図が掲示してあり、小諸 小海 中込 小淵沢 の各所に転車台があるとの情報に、山陰地域を含めた中国地方や北九州地域も魅力的でしたが、高校生ながらに1線区に4ヶ所もの転車台の存在は撮影効率が高いと判断し、信越本線の直江津〜上田、中央本線の多治見〜小淵沢の範囲に信州ワイド周遊券を利用し、その地域を訪問しました。
雨上がりの早朝の直江津機関区で撮影を終え、憧れだった 特急あさま の特急券を求め直江津駅のみどりの窓口に立ち寄ったのですが、指定券を求めた私に対して窓口氏は「始発だから自由席でも座れるよ」と気遣いしてくれたのですが、やはり憧れの特急列車の指定席に座ると言う鉄道ファンのこだわりから、特急あさま の指定席で移動しました。
上田駅に到着すると、山間の信州らしい引く垂れ込めた雨雲の切れ間から微かな日差しもありましたが、上田駅構内の視界は霧が立ち込めたような、なんとも幻想的な雰囲気でした。
この上田駅を訪れた動機は、昭和48年頃だったでしょうか、子供の頃からの持病で地元の駅デパートビル内にあった医院に通院していた私が、駅前の大きな書店で当時としては非常に高価な書物(多分千八百円程、今なら8千円くらい?)を見つけ、誕生日プレゼントにと珍しく母にねだり購入した 蒸気機関車写真名鑑 と言う本の一項に上田機関区所属の D50132号の写真を見つけたからでした。
戦前の山北機関区から上田機関区に転属してきた同機は、信越本線電化の頃まで長らく上田機関区で働き、架線下の写真でしたが同機の写真のおかげで上田機関区の存在を知ったしだいです。
上田駅のホームに降り立った私は、霧に覆われた周囲を見渡し上田機関区跡を探してみたのですが、下り線の高崎方に少し広まった場所を見いだしただけで、車庫や転車台の姿を見つけることはありませんでした。
やはり、電化後15年くらいも経った単なる幹線中間駅の機関区設備は生きながらえなかったのでしょう。
機関区跡を発見出来なかった落胆からか、一枚も構内写真を残していなかったので、本頃の記事を拝見したときは感激いたしました。

私の中でのD50型の晩年近くのイメージは、筑豊地区を除けば、この上田機関区に柳ヶ浦機関区と糸魚川機関区、そして富良野機関区あたりでしょうか。
富良野機関区は趣味誌上でもなかなかその姿を見かけないのですが、フジテレビのドラマ 『北の国から』 の映像に富良野駅でのシーンがたまにあり、そこに富良野駅構内や駅前にある構内図がチラリと映し込まれていて、機関区跡であろう配線部分に転車台の印も垣間見れます。
話しが逸脱してしまいましたが、しなの鉄道の なかの人さんのツイッターだったでしょうか、旧上田機関区の転車台跡発見の画像アップは、水戸の項、コスモスさんのコメントによる内原操車場跡の転車台遺稿に匹敵しそうなスクープ画像を拝見し、機関区好き冥利に尽きる想いを感じることが出来ました。

この上田機関区は、原ノ町機関区、木曽福島機関区、紀伊田辺機関区、出水機関区、等の純然たる幹線中間駅の機関区とは違い、強いて言うなら、柳ヶ浦機関区のような勾配区間を担当する機関区だったのでしょうか、機関区の冠を拝しながら、SL全盛期での配置数量の少なさに、数ある国鉄機関区内でも非常に印象深い機関区なのは間違いないなさそうです。

末尾になりますが、上田駅トップ頃の理由をお答えいただきありがとうございます。
自身の初コメント、鳥栖の頃でお話した社会人後の機関区巡りの最初の場所は、実は私の祖母の郷里の近くである三次機関区からで、f54560zgさんのblogへの思いと、当時の私の機関区巡りの思いは、ちょっぴり似通っていたのかもしれません。

前出コメントで2ヶ所書き損じておりました。
日時は翌年の79年9月の間違いでした。
旧上田機関区の遺稿記事を上田駅その2の頃でご紹介いただいたのは レイルエンジニアリングさんだったのを記入しておらず申し訳ございませんでした。

KASAさん、そうですね、なんだかんだで10年になりました。この間皆様から頂いたコメントは3500件以上と思われ、感謝に耐えません。今後とも暖かく見守っていただければと思います。
E10さん、実は上田に機関区があったということを知ったのは比較的後の方でした。地理的に上田に機関区があってしかるべき、とは思えななかったもので(汗)。それにしても転車台の遺構の発見は衝撃的でした。小諸の転車台も信越線電化の際に移設されたようなのですが、こちらの遺構発見はちょと無理かも。
E10さんの原点もおじいちゃんやおばあちゃんなのですね。私も祖父母が長野県に住んでいたことに感謝しなければなりませんね。

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