屋代 1978/12/27
長野-(1308M「妙高4号」)→屋代14:25着/15:24発-(326レ)→大屋
長野電鉄線が接続しており、当時は国鉄からの乗り入れ列車も設定されていましたので、中線から長野電鉄線須坂方への下りの出発ルートが設定されていました。
従って下り列車の場合は切り離された先頭部がそのまま長野電鉄線に向けて発車できます。
しかし、上り列車の場合、当駅で併結作業が行われるわけですが、誘導信号機は設けられていませんので「信州」または「妙高」が先着している線路に直接「志賀」を進入させることはできません。
写真のように併結作業は上り本線で行われており、また長野電鉄線から国鉄線への進入ルートは中線だけですから、「信州」「妙高」を上り本線に、「志賀」をいったん中線に進入させ、誘導で「信州」または「妙高」の最後尾に「志賀」を連結していたのだと思われます。
またこの時点では高崎方はまだ単線でした。
直江津方です。中線からは出発信号機7LFにより長野電鉄線に進出できます。
上り本線で妙高高原からの1308M妙高4号の最後部に湯田中からの4308M志賀2号を併結するところです。左は303M信州1号です。
長野電鉄線ホームです。遠くに長野電鉄のED5102が止まっています。
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古い記事引っ張り出してすみません。
中線に進入した「志賀」をいったん直江津方のX線もしくはY線まで入換扱いで進出させて再び折り返して併結していたという事でしょうか?
投稿: natsu | 2008年5月31日 (土) 23時53分
・・・natsuさんからのコメントがあると、正直、「ドキッ」とします・・・・。
ご質問に対しては「YES」です。
記事には掲載しませんでしたが、「志賀」がX線~F線にいる状態で写っている写真がありますので、直江津方の先頭部はF線側に突っ込んでいたようです。
但し、あくまで推定です。
可能性としては、きわめて低いですが、一旦長野電鉄線の場内信号機8Rで止めて、そこから誘導していたことも考えられます。
当然私はその場にいたわけなのですが、すみません、どうやって併結していたのか記憶がありません。
投稿: f54560zg | 2008年6月 1日 (日) 11時20分
了解しました。
非効率なやり方だったんですね、
車内や駅でアナウンスはしてたんでしょうけど
「志賀」の乗客も驚いてたんではないでしょうか、
投稿: natsu | 2008年6月 1日 (日) 21時09分